「市政に市民が参加する」と聞いて、誰もおかしいとは思いません。
では、その「市民」が、政治活動家(秘かに良からぬ魂胆を抱いた人たちもいる)や市内に住んでいるのかどうか分からず、どこの誰とも名乗らない人たちだったらどうでしょうか。
私たちはその人たちを素直に歓迎することができるでしょうか。その人たちと腹を割って語り合い、共に汗をかき、一つの目標に向かって歩を同じくすることができるでしょうか。
このような人たちとも一緒になって議論し、公平に意見を取り入れながら市政を運営していくのだと市のルールとして取り決めるのが、このたび一部の議員から松阪市議会に提出された「市民参加条例」というものの正体です。
名称は違いますが、10月に2度目の否決をしたばかりの「市民まちづくり基本条例」と理念も中身も同じものです。このような条例が再び提出されたことに正直、驚いています。
本会議では、この点をしっかりと指摘しておきました。
2013年12月4日水曜日
2013年11月13日水曜日
議会報告会にて市民まちづくり基本条例についてご報告
松阪市議会は、11月12日(火)、花岡地区市民センターにおいて議会報告会を開催しました。
多くの方々にご参加いただきました。ありがとうございます。
ここで多くのご意見をいただいたのが、やはり松阪市議会で2度目の否決をした「市民まちづくり基本条例」に関するものでした。
ご意見を伺う中で、これまでの市側の説明やマスコミ報道の影響もあり、どうしてもこの条例の制定と住民協議会の規定とを結び付けて把握されている方もいらっしゃいました。
住民協議会の規定を重要視するあまり、この条例に存在する特有の問題をあまり重要でないとされているようなのです。この条例の制定問題と住民協議会の規定とは別の話であると考えていただいた方がご理解いただきやすいのではないでしょうか。
既に住民協議会に関する事項は市の「規則」に規定されており、住民の方々が運営していく上で、何ら支障をきたすものではありません。
問題は、別のところに存在しているのです。 そのことは何度か私の市政報告「うえまつーしん」でも指摘していますので、是非とも今一度、下記ページをご参照ください。
うえまつーしん第13号
うえまつーしん第9号
うえまつーしん第8号
うえまつーしん第5号
私は、この住み良い松阪のまちを守っていきたいのです。勿論それは皆さんも同じだと思います。 これまでに多くの方々からメール、お電話等でご賛同をいただいています。
そうであるならば、松阪市として為すべきことは、あらぬ混乱を招きかねないものは取り入れないということです。 このような条例がなくとも、皆さんの手によってまちづくりはしっかりと行われています。 それは住民の皆さんが一番ご存知のはずです。
是非、これからも知恵を出し合い、魅力あるまちを創っていこうではありませんか。
ここで多くのご意見をいただいたのが、やはり松阪市議会で2度目の否決をした「市民まちづくり基本条例」に関するものでした。
ご意見を伺う中で、これまでの市側の説明やマスコミ報道の影響もあり、どうしてもこの条例の制定と住民協議会の規定とを結び付けて把握されている方もいらっしゃいました。
住民協議会の規定を重要視するあまり、この条例に存在する特有の問題をあまり重要でないとされているようなのです。この条例の制定問題と住民協議会の規定とは別の話であると考えていただいた方がご理解いただきやすいのではないでしょうか。
既に住民協議会に関する事項は市の「規則」に規定されており、住民の方々が運営していく上で、何ら支障をきたすものではありません。
問題は、別のところに存在しているのです。 そのことは何度か私の市政報告「うえまつーしん」でも指摘していますので、是非とも今一度、下記ページをご参照ください。
うえまつーしん第13号
うえまつーしん第9号
うえまつーしん第8号
うえまつーしん第5号
私は、この住み良い松阪のまちを守っていきたいのです。勿論それは皆さんも同じだと思います。 これまでに多くの方々からメール、お電話等でご賛同をいただいています。
そうであるならば、松阪市として為すべきことは、あらぬ混乱を招きかねないものは取り入れないということです。 このような条例がなくとも、皆さんの手によってまちづくりはしっかりと行われています。 それは住民の皆さんが一番ご存知のはずです。
是非、これからも知恵を出し合い、魅力あるまちを創っていこうではありませんか。
ラベル:
うえまつーしん,
規則,
市民まちづくり基本条例,
住民協議会,
松阪市議会
場所:
日本, 三重県松阪市
2013年10月17日木曜日
そもそも住民投票は現行法の中で行うことができるようになっています
10月15日、松阪市議会の総務生活委員会において「市民まちづくり基本条例」案・「住民投票条例」案について審議をし、委員会としては住民の皆さんの意思を尊重し、到底認めるわけにはいかないという多数の統一意見の下、否決という結論を出しました(最終の決議は18日の本会議において行います)。
本条例案に対しては様々な考え方が存在しますが、これらを否決すべき理由や背景の概略は前々回の本ブログの中で述べた通りです。そして今回、委員会審議の中で、特に住民投票条例案に関する議論を集中的に行い、地元紙に記事としてもその内容が一部掲載されました。
このような一連の流れから、ともすれば住民の皆さんの中には「この否決によって松阪市のまちづくりが一歩後退してしまうのではないか」という印象をお持ちになってしまっている方々もいらっしゃるのではないでしょうか。
そのような不安を払拭するためにも、あえて次の2点に絞ってこの問題について補足しておきたいと思います。
一つには、そもそも住民投票は本条例案が無くとも現行法(地方自治法「直接請求」第74条)に則って行うことができるという点と、もう一つには、この則るべき地方自治法「直接請求」第74条の規定内容が、日本国籍を持つ20歳以上の有権者に限られた権利だという点(「日本国民固有の権利」とも言われるもの)です。
つまり、今ある「日本国民固有の権利」を行使すれば、いつでも住民投票を行うことができるように既に制度化(一定数以上の連署は必要ですが)されているのです。したがって皆さんの権利を考えればこのことをもってして「市民まちづくり基本条例」やそれに付随する「住民投票条例」などは無くてもよい条例だということができるのです。
そうであるなら、なぜ条例化が叫ばれているのか、言い換えれば、条例が制定されて一体何が変わるのかを考えなければなりません。
本条例が制定されれば、、「日本国籍を持たない人たち」も住民投票を行うことができるようになります。つまり、地方自治法にある「直接請求」権の権利行使の手続きを取らずとも、松阪市独自で作った「住民投票条例」に則って国籍に関係なく住民投票が行われてしまうということです。
これは「日本国籍を持たない人たち」に本来ならば付与されていないはずの「直接請求」権という権利を付与することと同等の意味を持つことになります。
こう考えれば、本条例案は無くてもよい条例ではなく、「あってはならない条例」だとも言えるのです。
誤解していただきたくないのは、これは決して「日本国籍を持たない人たち」のことについて申し上げているのではなく、問題としているのは、地方自治法という法律の趣旨を無視してまで松阪市が独自にこのような条例を作ることに対し、すべての住民の皆さんは承知しているのですか、ということなのです。言うまでもなく承知しておりません。
私はこのような条例案を受け入れることなど到底できません。もし受け入れてしまえば、それは良識ある住民の皆さんの意思に背くことにもなります。
念のために申し上げれば、これらの条例案が否決されたからといって、これからの松阪市のまちづくりが後退するなどということはありません。
18日の本会議には、強い決意を胸に臨みたいと思います。
本条例案に対しては様々な考え方が存在しますが、これらを否決すべき理由や背景の概略は前々回の本ブログの中で述べた通りです。そして今回、委員会審議の中で、特に住民投票条例案に関する議論を集中的に行い、地元紙に記事としてもその内容が一部掲載されました。
このような一連の流れから、ともすれば住民の皆さんの中には「この否決によって松阪市のまちづくりが一歩後退してしまうのではないか」という印象をお持ちになってしまっている方々もいらっしゃるのではないでしょうか。
そのような不安を払拭するためにも、あえて次の2点に絞ってこの問題について補足しておきたいと思います。
一つには、そもそも住民投票は本条例案が無くとも現行法(地方自治法「直接請求」第74条)に則って行うことができるという点と、もう一つには、この則るべき地方自治法「直接請求」第74条の規定内容が、日本国籍を持つ20歳以上の有権者に限られた権利だという点(「日本国民固有の権利」とも言われるもの)です。
つまり、今ある「日本国民固有の権利」を行使すれば、いつでも住民投票を行うことができるように既に制度化(一定数以上の連署は必要ですが)されているのです。したがって皆さんの権利を考えればこのことをもってして「市民まちづくり基本条例」やそれに付随する「住民投票条例」などは無くてもよい条例だということができるのです。
そうであるなら、なぜ条例化が叫ばれているのか、言い換えれば、条例が制定されて一体何が変わるのかを考えなければなりません。
本条例が制定されれば、、「日本国籍を持たない人たち」も住民投票を行うことができるようになります。つまり、地方自治法にある「直接請求」権の権利行使の手続きを取らずとも、松阪市独自で作った「住民投票条例」に則って国籍に関係なく住民投票が行われてしまうということです。
これは「日本国籍を持たない人たち」に本来ならば付与されていないはずの「直接請求」権という権利を付与することと同等の意味を持つことになります。
こう考えれば、本条例案は無くてもよい条例ではなく、「あってはならない条例」だとも言えるのです。
誤解していただきたくないのは、これは決して「日本国籍を持たない人たち」のことについて申し上げているのではなく、問題としているのは、地方自治法という法律の趣旨を無視してまで松阪市が独自にこのような条例を作ることに対し、すべての住民の皆さんは承知しているのですか、ということなのです。言うまでもなく承知しておりません。
私はこのような条例案を受け入れることなど到底できません。もし受け入れてしまえば、それは良識ある住民の皆さんの意思に背くことにもなります。
念のために申し上げれば、これらの条例案が否決されたからといって、これからの松阪市のまちづくりが後退するなどということはありません。
18日の本会議には、強い決意を胸に臨みたいと思います。
ラベル:
市民まちづくり基本条例,
住民投票条例,
第74条,
地方自治法,
日本国民固有の権利
場所:
日本, 三重県松阪市
2013年9月22日日曜日
松阪市の市民まちづくり基本条例は住民を置き去りにする!? 松阪市議会議員 植松泰之
松阪市議会が昨年(平成24年)3月に否決した「市民まちづくり基本条例」が再び10月の議会に上程されようとしています。
この条例は、「市民」を定義づけるのに市外の人々も含めている点や「住民投票」に参加できる投票権者に外国人を含めている点など、市政の根幹を揺るがしかねない多くの問題を含んだもので、松阪市に住む多くの方々もパブリックコメント(意見聴取)等を通じて制定反対を訴えたという経緯のあるものです。
では、この条例が私たちの指摘通りに修正されて再上程されるのかといえば、本質的に何ら変えられていません(多少の言い回しが変えられている箇所がある程度)。
私たち松阪市議会はこれに対する扱いに今、大変頭を悩ましています。
何としてもこの条例を制定したいと思っている議員は「議論の場を作って大いに討論すべきだ」などと迫ってきていますが、討論するといっても昨年まで十分に議論してきたこの条例に対し新たに何を議論しようというのか分からないのです(同じ意見を披露し合うのならできないことはないのですが)。
既に議論の論点整理もできており、見解の相違、国家観の相違から互いに歩み寄れるところがないのは明らかになっています(例えば、外国人にも住民投票権を与えるべきだと言われても、これは話し合って落としどころを見出せるような案件ではないのではないでしょうか)。
また、私たち松阪市議会が皆さんの町に出向いて行う「議会報告会」では条例制定を否決したことに対して異論は聴きませんでしたし、先の市議会議員選挙では私自身も含め他の多くの議員は条例制定を否決したことに対し、むしろ賛同を得てきたという経緯があります。
以上のような経緯はすべて無かったことにして、もう一度議論すべきなのでしょうか。議論とは一体何なのでしょうか。
皆さんから寄せられた多くの貴重なパブリックコメントも無かったものとして、もう一度意見を聴くべきなのでしょうか。
一体、誰のための条例なのでしょうか。
何を目的にした条例なのでしょうか。
良識ある松阪市の皆さんが下した昨年の判断は大変重たいものです。その結果が気に入らないからといって「もう一度、議論の場を作って一から討議すべきだ」などとは私は到底言えません。
当然、松阪市議会に条例が上程されれば、互いに意見交換はしますが、話し合って落としどころを定めたり、修正を加えたりできるものではないでしょう。そのようなことをすれば、それは松阪市の住民に皆さんの意向に背いてしまうということに他なりません。
「再び議論する場を持つことが善、議論を避けることが悪」などという単純な構図で考えてしまうと問題の本質を見誤ってしまうかもしれません。
この条例は、「市民」を定義づけるのに市外の人々も含めている点や「住民投票」に参加できる投票権者に外国人を含めている点など、市政の根幹を揺るがしかねない多くの問題を含んだもので、松阪市に住む多くの方々もパブリックコメント(意見聴取)等を通じて制定反対を訴えたという経緯のあるものです。
では、この条例が私たちの指摘通りに修正されて再上程されるのかといえば、本質的に何ら変えられていません(多少の言い回しが変えられている箇所がある程度)。
私たち松阪市議会はこれに対する扱いに今、大変頭を悩ましています。
何としてもこの条例を制定したいと思っている議員は「議論の場を作って大いに討論すべきだ」などと迫ってきていますが、討論するといっても昨年まで十分に議論してきたこの条例に対し新たに何を議論しようというのか分からないのです(同じ意見を披露し合うのならできないことはないのですが)。
既に議論の論点整理もできており、見解の相違、国家観の相違から互いに歩み寄れるところがないのは明らかになっています(例えば、外国人にも住民投票権を与えるべきだと言われても、これは話し合って落としどころを見出せるような案件ではないのではないでしょうか)。
また、私たち松阪市議会が皆さんの町に出向いて行う「議会報告会」では条例制定を否決したことに対して異論は聴きませんでしたし、先の市議会議員選挙では私自身も含め他の多くの議員は条例制定を否決したことに対し、むしろ賛同を得てきたという経緯があります。
以上のような経緯はすべて無かったことにして、もう一度議論すべきなのでしょうか。議論とは一体何なのでしょうか。
皆さんから寄せられた多くの貴重なパブリックコメントも無かったものとして、もう一度意見を聴くべきなのでしょうか。
一体、誰のための条例なのでしょうか。
何を目的にした条例なのでしょうか。
良識ある松阪市の皆さんが下した昨年の判断は大変重たいものです。その結果が気に入らないからといって「もう一度、議論の場を作って一から討議すべきだ」などとは私は到底言えません。
当然、松阪市議会に条例が上程されれば、互いに意見交換はしますが、話し合って落としどころを定めたり、修正を加えたりできるものではないでしょう。そのようなことをすれば、それは松阪市の住民に皆さんの意向に背いてしまうということに他なりません。
「再び議論する場を持つことが善、議論を避けることが悪」などという単純な構図で考えてしまうと問題の本質を見誤ってしまうかもしれません。
ラベル:
国家観,
市民まちづくり基本条例,
住民投票
場所:
日本, 三重県松阪市
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