皆さんは、観光地を訪れた際、観光拠点施設に行きますか?
そもそも観光拠点施設って何?という声が聴こえてきそうです。
観光客の立場でいえば、たまたま入ったトイレがそのような施設の中にあっただとか、道を聞こうとして入ったら実はそこがそうだったとか・・・。
実は今、松阪市では、まちなかに観光拠点施設なるものを建設しようと着々と準備が進められています。場所は市役所横の旧長谷川邸の敷地内です。建設費の総額が10億円という話も出ています。
その一方で、市内に数多くある公共施設は、その老朽化が大変な問題になっています。そのため施設仕分けを敢行し、施設の統廃合も視野に入れた検討がなされています。
そこへ新たな観光拠点施設の建設の話が出てきましたので、驚いています。
まちなかには、まだまだ観光機能として活かし切れていない施設や建造物が幾多も存在しています。
松阪市議会では先般の議会で、計画をゼロベースに戻すよう意見し、市側も逐一情報の提供に努めることを約束しました。
このような話は、観光の全体像、まちなかの将来像を描いた上で、その各論として議論していくものではないでしょうか。少し先走っているように感じます。
2013年12月22日日曜日
2013年8月22日木曜日
少子化をもう一度考えてみませんか? 松阪市議会議員 植松泰之
子は宝だといわれながら、少子化の傾向から脱したという話はなかなか聞くことができません。
最近発表された合計特殊出生率が1.39から1.41に改善されたといっても、昭和41年のひのえうまの年の1.58を初めて下回った平成元年の1.57を大きく下回ったままです。
その最大の原因は女性の社会進出とそれによる仕事と育児の両立の難しさだとされているのは周知の通りです。
では、そもそも少子化問題に対して十分に対策は取られてきたと言えるのでしょうか。もしくはもうこの問題を解決することはできないと考えるべきなのでしょうか。
それとも他に根本的な原因があるのでしょうか。
一体、若い人達は明るい未来像を描けているのでしょうか。
確かな希望を持って結婚を考えているのでしょうか。
結婚したいと思ったときに結婚できているのでしょうか。
経済的な面で家族を養っていけると言えるだけの自信は持ち合わせているのでしょうか。
それとも子供を生んで育てたいという本能は人から衰退してしまったのでしょうか。
このようなことを問うていく中で、別の少子化対策、違った子育て支援を考えていくことはできないのでしょうか。
ひょっとしたらこれまで出された資料やデータなども見る視点を変えれば少し違った姿が見えてくるのかもしれません。
2013年8月17日土曜日
疑ってみることは勇気の要ることかもしれない : 松阪市議会議員 植松泰之
歳を重ねるにつれ、自分の価値観が安定し、そのお陰であらゆる物事に対して、ほぼ瞬時に判断できるようになっていると思いませんか。
そして、政治や経済に対しては勿論のこと、仕事に対して、人に対して、家族に対して何かを判断する時や何かを感じる時、あまり労力を使わずに済ますことが多くなってきていると思いませんか。
大半はそれで問題なく過ぎていくのですが、いざ何かを変えようとする時や何かを始めようとする時はそれでは済まされないことが出てくるように思います。一度立ち止まり、対峙する事象に疑問符を投げかけてみるのも大切なことなのかもしれません。
例えば、経済において国の借金が1000兆円を超え大変なことだと言われているが、本当なのだろうか。政治において道州制の導入が急務だと言われているが、本当にそうなのだろうか。松阪市議会の改革は議員数を減らすことだと言われているが、どうなのだろうか、等々。
これまで見聞きしてきたことを疑い、見つめる角度をずらし、我欲を排して立ち止まってみることは決して楽なことではないのかもしれないし、むしろ勇気の要ることなのかもしれません。
しかし、社会が変わる時とは些細な疑問符の積み重ねによってもたらされるような気がしてなりません。皆さんはどう思われるでしょうか。
そして、政治や経済に対しては勿論のこと、仕事に対して、人に対して、家族に対して何かを判断する時や何かを感じる時、あまり労力を使わずに済ますことが多くなってきていると思いませんか。
大半はそれで問題なく過ぎていくのですが、いざ何かを変えようとする時や何かを始めようとする時はそれでは済まされないことが出てくるように思います。一度立ち止まり、対峙する事象に疑問符を投げかけてみるのも大切なことなのかもしれません。
例えば、経済において国の借金が1000兆円を超え大変なことだと言われているが、本当なのだろうか。政治において道州制の導入が急務だと言われているが、本当にそうなのだろうか。松阪市議会の改革は議員数を減らすことだと言われているが、どうなのだろうか、等々。
これまで見聞きしてきたことを疑い、見つめる角度をずらし、我欲を排して立ち止まってみることは決して楽なことではないのかもしれないし、むしろ勇気の要ることなのかもしれません。
しかし、社会が変わる時とは些細な疑問符の積み重ねによってもたらされるような気がしてなりません。皆さんはどう思われるでしょうか。
場所:
日本, 三重県松阪市
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