やはり市民参加条例なるものは歪(いびつ)な姿をしたものでした。
12月12日に開催された松阪市議会総務生活委員会での議論は、結局のところ、提案者の夢想を聞かされるだけのもので、議論の噛み合うところは一つもありませんでした。
何しろ中身は、市議会(ならびに行政)は、松阪市民のみならず、全国民に対してもあまねく公平に情報を提供し、発言機会を設け、そこから出された意見を尊重しなければならないという条例(つまり松阪市のルール)なのですから。
いつから市議会議員は全国民から負託を受ける立場になったのでしょうか。いつから全国民に対してすべての責任を負う立場になったのでしょうか。
「理念条例だからこれで良いのだ」とも言っていました。今、私はこれを「詭弁条例」と命名しておきます。
「市民参加」の「市民」とは誰のことを指すのか、よくよく注意して取り扱わなければなりません。
気が付けばかけがえのない私たちのまち松阪がいつの間にか取り返しのつかない事態に陥ってしまっていた・・・なんてことが現実に起こらないためにも。
2013年12月14日土曜日
2013年12月4日水曜日
やっぱりおかしい・・・市民参加条例
「市政に市民が参加する」と聞いて、誰もおかしいとは思いません。
では、その「市民」が、政治活動家(秘かに良からぬ魂胆を抱いた人たちもいる)や市内に住んでいるのかどうか分からず、どこの誰とも名乗らない人たちだったらどうでしょうか。
私たちはその人たちを素直に歓迎することができるでしょうか。その人たちと腹を割って語り合い、共に汗をかき、一つの目標に向かって歩を同じくすることができるでしょうか。
このような人たちとも一緒になって議論し、公平に意見を取り入れながら市政を運営していくのだと市のルールとして取り決めるのが、このたび一部の議員から松阪市議会に提出された「市民参加条例」というものの正体です。
名称は違いますが、10月に2度目の否決をしたばかりの「市民まちづくり基本条例」と理念も中身も同じものです。このような条例が再び提出されたことに正直、驚いています。
本会議では、この点をしっかりと指摘しておきました。
では、その「市民」が、政治活動家(秘かに良からぬ魂胆を抱いた人たちもいる)や市内に住んでいるのかどうか分からず、どこの誰とも名乗らない人たちだったらどうでしょうか。
私たちはその人たちを素直に歓迎することができるでしょうか。その人たちと腹を割って語り合い、共に汗をかき、一つの目標に向かって歩を同じくすることができるでしょうか。
このような人たちとも一緒になって議論し、公平に意見を取り入れながら市政を運営していくのだと市のルールとして取り決めるのが、このたび一部の議員から松阪市議会に提出された「市民参加条例」というものの正体です。
名称は違いますが、10月に2度目の否決をしたばかりの「市民まちづくり基本条例」と理念も中身も同じものです。このような条例が再び提出されたことに正直、驚いています。
本会議では、この点をしっかりと指摘しておきました。
場所:
日本, 三重県松阪市
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